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パトリック・モラーツ(Patrick Moraz、1944年6月24日 - )は、スイス出身のキーボディスト。 == 来歴 == スイスとアメリカの専門学校(スイスのセント・モウリス・ガレッジ、ローザンヌ・ギナジウム、ニューヨークのコロムビア・ユニヴァー・シティ、他)で音楽理論や器楽演奏を学ぶ。アマチュア時代は音楽理論の研究に加え、セッション活動をおこなっていた。1971年に、イギリスに渡り彼自身がリーダーとなってメインホースというバンドを結成し、同名のアルバムでポリドールからデビューしている。プロのバンド活動はこれが最初である。〔伊藤政則『神々の饗宴』シンコーミュージック、1979年版、80頁を参照〕 1973年10月に、元ザ・ナイスのリー・ジャクソン/ブライアン・デヴィソンと「レフュジー」を結成し、1974年4月に同名のアルバムを発表している。リー・ジャクソンがナイス解散後に結成したジャクソン・ハイツというグループで活動していた際に、モラーツがセッションとして参加し、。だが、同年8月に脱退し、リック・ウェイクマンの後任としてイエスに加入した。、真相は分からない。 イエスにおけるパトリック・モラーツが参加したスタジオアルバムは「リレイヤー」一作のみとなった。加入した時、イエスは既に録音に向けてリハーサルを開始しているので、作曲面でパトリック・モラーツが何らかの貢献をしている可能性は少ないとされるが、「錯乱の扉」での具体音やシンセサイザーを用いた激しい効果音、ベンディングを多用したミニモーグのソロやローズ・ピアノを使ったジャズロック的なスタイルは過去のイエスには無く、。、それまでの代表曲に彼の演奏は巧くフィットしたとはいえず、ステージでの演奏にはぎこちなさが残った。 1976年3月、パトリック・モラーツ初のソロ・アルバム「アイ i」(Story of i)がリリースされる。イエスのメンバーが全員ソロ・アルバムを出すというプロジェクトの一環だった。同年、「リレイヤー」に続くアルバムの準備中にイエスを脱退(「究極」。)。その後はソロ活動の他、ビル・ブルーフォードとのコラボレーションやムーディー・ブルースへの参加(1978年~1991年)など、。 シンセサイザーを多段に積み上げ多数のキーボードを周囲に配置するというマルチ・キーボード型の演奏スタイルだが、全てをマッキントッシュで構成したアルバムをリリースするなど、。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パトリック・モラーツ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Patrick Moraz 」があります。 スポンサード リンク
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